自分が子供の時に「この勉強意味あるのかな」と考えたり、
自分の子供に「何のためにこの教科を勉強するの?」と聞かれて困った経験はありませんか?
全ての教科が100%大人になって役立つかはわかりません。
ただ、年を重ねるについれて、大切であることをひしひしと感じています。
今回はいわゆる5大教科が大人になってどう役立つのか私見を書き綴っていこうと思います。
歴史はいらない?「社会」
現代社会などは生きていく上で必要ですので必要性を理解している方は多いと思いますが、
歴史はどうでしょうか。
日本史、世界史、これらを本格的に学ぶには膨大な時間を要します。
はたしてそこまで労力をかける必要があるのでしょうか?
某掲示板などでは、人を突然殴り、再び殴ろうとすると相手は防ごうとする行為に言い換えて
必要性を説かれていたりします。
私もまさにその通りだと考えており、歴史というのは経験値の塊です。
これまでの政治や戦争という様々な成功や失敗、英雄譚や悪行までが込められています。
今生きている我々はそれぞれの時代の子孫であり、
これまでの成功体験を受け継いだり、失敗から学ぶ権利があります。
イメージとしては自分という生き物が生まれる前、前世の記憶の習得です。
決して無駄ではないので、せめて日本人として生まれたからには日本史は学ぶべきでしょうね。
ただ、過去→現在ではなく、現在→過去の方が、
ロジック的に理解しやすいはずなので、そこが現在の学校教育とのギャップですね。
好き嫌い多し!「理科」
理科は人類の進歩のすべてといっても過言ではありません。
このブログを見ているスマホ、PCも、
インターネットができる環境も、家があるのも、
大量生産の食品が手に入るのも、
病気の時に薬をもらえるのもすべての根幹に「理科」があります。
人類は以下に「理科」に興味を持つ子供を育てるかで、進化のスピードが変わります。
はっきり言ってすべての人に深いレベルの教育は必要ありません。
ただ、この教科に興味を持ち、学べる子供を増やすことは絶対的に必要なのです。
電卓で十分!?「数学・算数」
嫌われ教科としてはトップクラスであろう数学・算数。
ただ、先ほどの理科につながる教科であるということは既にお察しかと思います。
理科と数学は切っても切れない関係。理科につながる基礎学力として必須です。
それにもう一点、論理的思考を培うという意義も持っています。
日本の教育方法だと式を使って当てはめるようなパターンが多いため
そうではないと主張するかともおられるかと思いますが、
それでも式を順番に分解する、文章問題を読み解く、
式を組み合わせて使うといった論理的思考の醸成に役立つ教科です。
極端な話、細かな計算などは電卓で授業でもよく、
なぜその式を使うのか、なぜその式から答えを導き出せるのか
といった方向性の教育方針になるといいと思います。
作者の気持ちなんて知らんがな!「国語」
自分は国語が苦手だったのでこの項目は大人になり痛いほど痛感しています。
特に「語彙力」「読解力」というのは重要です。
ホワイトカラーの仕事すると絶対に出てくるのが「文章を読む」という行為です。
これは文系職、理系職問わず、新たな知識、過去の人が貯めた知識、共有されている情報などを
習得するためには、基本的に文章を読む行為が発生します。
これが読書習慣の無い人にとってはきついきつい…。
国語で一番やって欲しいのは文字を読む、読書をすることが楽しいと思えるようになることだと思います。
本当の作者の気持ちは作者にしかわかりませんけどね…。
今の時代は必須!?「英語」
これは逆に必要とされすぎていて、幼児期からの早期教育が疑問視されている教科です。
グローバル化は進み続けるので、英語力はあるに越したことはないです。
ただ、問題視されているのは自国の語彙や読解力が定着する前に英語教育をしていいものか?という点です。
英単語には日本語では表しにくい表現が多々あります。
これを自国の語彙でどう表すのか、逆に自国の語彙がわからないのにどう学ぶのか。これが課題です。
個人的には早期の英語教育は「耳」を鍛えるために良いとは思いますが、
興味と継続が必要ですし、国語力もセットで鍛える必要があると考えています。
もしかすると、近い将来翻訳AIが飛躍的に向上して要らなくなるかもしれませんしね…。
まとめ
こうしてみると、やはり5大教科って重要で必要なものが集約されているのだと改めて感じました。
昔の人ってすごい。
ただ、現代の教育の方針や方法論についてはツッコミどころも多いので、
この辺りもグローバルスタンダードになっていって欲しいですね。